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リクライブのあれこれ話

#1 リクライブ編集長二宮の経歴とリクライブに関わるまで

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公開日 2023.06.07

リクライブ編集長二宮が、何を考え、何をやり、これからどうしていくのか、日々のことを気ままに話す番組です。
今回は、リクライブ編集長二宮の自己紹介と、リクライブに関わりはじめた話です。 実は途中からリクライブには関わっているという内容です。

二宮(リクライブ編集長)
デザイン系の大学を卒業後、デザイン事務所、ブランディング会社でデザイナー・ディレクター・役員の経験を積む。2020年からリクライブの立ち上げに携わり、リクライブ責任者に就任。2年で500本以上の採用動画制作に関わり、動画のMCとして企業の魅力を引き出すことが強み。

編集長ブログ始めます

皆さんこんにちはリクライブの編集長二宮です。今日から新しい企画、番組としてブログを書こうと思ったんですが、文字を書くのが結構大変なので音声で収録してから文字起こしするというスタイルで、今日から新連載始めていこうと思います。 色々なところからありがたいことに「リクライブいいですね」と言われることも増えてきましたが、まだ「何をやってるんですか」という質問もあったり、「なぜこれをやってるんですか」のようなことをよく聞かれるポイントだったりするので、改めて自分達がどういうことを考えて何をしてるのか、これから何をしていきたいのかっていうところを一方的に発信する場っていうのを設けまして、編集長ブログスタートさせようと思っております。 全く台本のない中で収録ボタンをポチっと押して今話しておりまして聞き苦しいところがあるかもしれませんが、最後までお付き合いいただければと思います。 今回、1回目ということなので、私、編集長の二宮がどのような人物なのか、簡単に自己紹介しながら、なぜリクライブに関わりやっているのかってとこまでちょっとお話しできればなと思っております。よろしくお願いします。

自己紹介と経歴

自己紹介をしますと、1991年、福島県生まれ、現在32歳でございます。 福島で生まれたのですが、その後すぐ札幌に行きまして札幌で育ったんですけれども、高校生の時に大学どこへ行こうかなと考えた時に母の知り合いが建築家だったというところもあって、すごくいいぞ、この世界を面白いぞ、みたいなことを聞いてやる気に燃えた二宮少年は、絵の勉強を始めて大学に行くことができました。大学で建築士になろうと思って、1年生の時に建築模型を作るアルバイトがあって、その時に初めて模型を作ったんですけど、すごく楽しくて3、4か月ぐらい夢中で1個の建築模型を作っていくんです。ハレパネって言うのですが3ミリとか1ミリとかのボードがあって、それを組み合わせて作っていくんですけどで、そこで得た給料、バイト代がなんと1,000円、3か月間、学校が終わって夜に作業に行って夜中の1時、2時までバイトして帰る生活を続けて3か月で1,000円しかもらえなかったっていうのがあり、徐々に気付き始めたんですよ建築業界の働き方を。やっぱ建築士と言っても一級建築士、二級建築士、そして持ってない人でも、自分がやりたかったお店の内装とか手がけられるってこともあって、その会社は一級建築士がやっていたんですけれども、社員さんはみんな資格持ってない方々で、内装とか外装とかデザイン、意匠部分を組み上げる仕事をしていたんですけど、凄く良くしてくれた事務所の方がですね、「やめといた方がいいよこの業界」と、こそっと言ってくれて、僕、15万円で暮らしてんだよねみたいな。その方35歳位の方だったんですけど、それを聞いた時にちょっとこれは苦しいかもと思い始めて、ただこれは資格を取れば解決するんだと思って、資格取得の勉強するために建築系の本を沢山買ったり、図書館へ行って本を見ていたんですが、そんな時にその本の写真とかデザインとか装丁とかが素晴らしいことに気付き、今度はその本を作りたいと徐々に思うようになりました。そこから建築の仕事をしたいというよりも本を作りたいという気持ちが強くなりエディトリアルデザインを勉強し始めました。そこからデザインで使われるソフトIllustratorとかPhotoshopとかBridgeとか色々使うようになって、気づいたら大学3年生の選択科目も建築コースを選ばずにメディアコースを選択してました。メディアとは媒体で何かを伝える広告だったり、本やエディトリアルもそうですけど、そういう方向にいきまして、その後インターンでデザイン事務所を3、4社転々とをしながらメディアの業界に行こうと決意したという大学時代でした。

デザイン会社からWEB制作会社の立ち上げ

大学4年生の時に札幌のデザイン事務所3KGという会社だったんですけれども、札幌市の行政の仕事だったりAIRDOなどブランディングを手掛けている会社で、かなり忙しかったんですが、インターン期間を入れて3年間くらいやり切りかなり修行いたしました。
僕はあまり大きな仕事はやらなかったんですけど、そんな中、珈琲屋さんのブランディングをしたことがありました。この珈琲屋さんではバレンタイン、ホワイトデーとか母の日、父の日クリスマスのようなイベントに向けて半年前から動くんですが、例えば6月だとクリスマスの準備を始めてるというぐらい、かなり早い時期から準備をしていたので季節感がおかしくなったっということがあったり、やはり何でも先取りをしていく業界なんだなっていうのをそこで学んだりしました。あまりデザインのことに興味ない人はこれ聞いててもしょうがないんですけれども、簡単に社会人フローを話します。
色々あってデザイナーとして仕事を始めて2年間は、新卒で5名ぐらいのデザイン事務所に入社し、日々修行して撮影、ホームページ制作、グラフィックデザインの仕事をしてましたが、社会人2年目の頃に大学生の時に知り合いだった方に声を掛けていただいて、帯広の会社に転職してやっていくってことになりました。
帯広で0からお客さんを開拓するっていうところからやりながら、ブランディング・WEB制作の会社を立ち上げて、計5年程、そこの会社に勤めて最終的に取締役になりWEBディレクターとして仕事をしていました。
そこで地元のお客さんからWEB制作などの仕事を受けていたのですが、WEB制作を依頼していただく目的の多くが採用でした。「お客さんを増やしたい」「売り上げを伸ばしたい」みたいなホームページの作り方よりも、求人出してるんだけど来ないからホームページリニューアルしたいみたいな要望が非常に多くて、そこに向けてサイトを作っていたことが多かったんでが、そういう仕事をしていくとやはり奇麗に見せないといけない、帯広は地方で土木とか建設とか農機具とか色んな会社があったんですけど、やっぱ人気が無い仕事が多いんです。3Kといわれる(汚い・きつい・危険)仕事ですね。3Kと呼ばれる業界の中で、どういう風に見せるかを考えるんですが、どうしても綺麗に見せる仕事、ブランディング、魅力を伝えていく仕事なので、本来採用であるべきこととかあまり知らずにデザイン制作として仕事をしていたので、作りながら「これでいいのかなぁ」と、思えばモヤモヤした気持ちで仕事していた思います。もちろん出来上がりの完成物はクオリティ高くしっかり作りきったと思っていますが、それが本来やりたかったことだったのかというと、ちょっと違うなっていう思いはその当時からありました。

リクライブとの出会いとサービスリリース

29歳までその会社で仕事をしていたのですが、ある時、ちょっと独立しよう、自分1人で仕事をしてみたいという思いが本当に強くなりまして、自分の思いをぶつける仕事をしようと思って会社を辞めたんです。 辞めたのが1月か2月で2020年の4月に法人登記するために定款や判子など作って準備が整った頃に、現在、所属するNKインターナショナルの木田社長に会う機会があったんです。その際に木田社長から1人でやるのは大変じゃないか、うち来ないかと声をかけていただきました。NKインターナショナルは評判も良く格好いい会社だったので色々事業展開もしているし良いかなぁと思い、入ってみますと頑張ってみますと言って入社することになりました。
入社した時に僕は、WEB制作の人間として考えていたんですけれども、入社の1週間ぐらい前に、NKの社員の方から「リクライブというサービスを始めようと思ってるんですけど、WEBデザインにちょっと関わってくれませんか」のようなことを言われたのがリクライブとの初めての出会いでした。
当時のリクライブは今とは少し違うサービスでどのようなサービスだったかというと、実は構想期間は長く2018年の末ぐらいからライブ配信で説明会をやるプラットフォームというジャンルでリクライブが始まろうとしていました。当時はインスタライブ、TickTokライブやSHOWROOMライブ、今だと17LIVEなどライブ配信アプリの黎明期でした。なのでライブ配信することの意義とか価値みたいなのが非常に高まっている時期で、これを採用に持ち込もうというのがリクライブの始まりでした。サービス開始のための準備進めていくほど、サーバーやシステムだったりライブ配信システムを独自で組み上げないといけなかったりなど結構大変なことがあって、裏側の仕組みを作ることに奔走していった結果、サービスが始まった時に誰も使う人がいない、見る求職者もいないし配信する企業もいないという状態でオープンしてしまいました。

大胆な施策「テレビCM」

そこから結構色々なことをやりました。広告を月100万円出してInstagram広告やFacebook広告を4ヶ月、計400万円くらい出して会員数を増やそうとしたりなど。 それでも上手くいかなくて知り合いがいる地元企業に無料で良いから使ってくれないかって依頼したり、1日に5社ぐらい集めて説明会をライブで開催したりなど、そういう企画やキャンペーンなどを半年ぐらいやってました。
もっと多くの企業を増やすことができれば、求職者も増えてくるんじゃないかと思っていて、玉雛関係、企業を集めるのか求職者集めるのか、どっちを集めたらいいのかなど社内で議論がいっぱいあって、僕はなんとなくイメージしたのは楽天とかAmazonみたいに「やっぱりモノがないと人は来ないよね」って思っていたので企業を集めることを優先して動いていました。しかし地元企業をどれだけ集めても、なかなか求職者が集まらなく半年間かなり苦戦していました。
その間に、僕はもっと大きいことをやらなくてはいけないという話を社長にしまして、「CMをやろう」というかなり大胆な施策を考えてしまいました。 地道に1社1社当たってもしょうがないと、数百、数千社を集めてこそ、求職者が数万に集まる世界なんだっていうことを社長に説明し説得し、1億5,000万円かけて全国CM、全国といっても北海道、東海、九州エリアのテレビCMと、YouTubeの動画広告を出しました。
その際にプロモーション会社からは求職者を集めるべきと言われて、求職者が集まれば企業も集まるので求職者向けの展開でCMを作りましょうとなり、若者に人気のあるYouTuberを起用することになりました。候補に挙がったのは東海オンエアさんとかHIKAKINさんで、最終的に決まったのは水溜りボンドさんでした。当時440万人のチャンネル登録者数がいる大物YouTuberっていうことで起用して、CMを2021年の1月に撮り2月に放映しました。僕はこれからすごいことが起きるぞと思っていました。おかげさまで放映後の市場調査結果もCMが800万から1,000万リーチを獲得、YouTubeの再生回数も492万回行ったり、コラボレーションで水溜りボンドさん以外にはじめしゃちょーさんサンシャイン池崎さんもコラボしながらプロモーションしていただきました。
ただ、結果フタを開けてみると、リクライブの企業契約数が3社求職者登録数が2,000人という状況で、これは果たして正解だったのか?みたいな疑問は未だにありますがこのような結果となりました。

3人での再始動

CMをドカンとやりお金も使いましたが登録数は増えず、もうやばい何とかしないといけないなと思った時に、もうこれ営業しないとダメだ…と初めて営業マンを採用したわけです。
実はこのCMをやる頃まではリクライブメンバー10人くらいいたのですが、皆さん人事や管理部から集まって兼業でやっている方ばかりで、僕が本格的に参加した頃には皆ちょっとずついなくなりまして、手離れしたっていう言い方が正しいかもしれないですが、最終的にCMを出したときはリクライブメンバーは2人だけになっていました。そこにプラス営業マンが1人入ったので2021年の2月には3人だけでリクライブを何とかしないといけない、この投資を何とか回収しないといけないっていう状態になりました。
ここまでが第1章みたいな感じですかね。ちょっと長いんでね続きは次回とさせていただきます。
第2章をお楽しみに!

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User Story

リクライブ導入企業の声

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